サンフレッチェ広島ミハエル・ミキッチについて

ミハエル・ミキッチ

 ミハエル・ミキッチは、クロアチア・ザグレブ出身のサッカー選手であります。Jリーグ・サンフレッチェ広島に所属しています。元はクロアチア代表です。今サイドプレイヤーとしての起用が多い、過去には攻撃的ミッドフィルダーとストライカーのポジションで活躍しています。

7歳のとき、NKBistraというクラブでサッカーをプレーし始めます。13歳のとき、NKインケル・ザプレシッチのユースへ加入し、16歳でこのクラブにおいてプロのキャリアをスタートしていました。2年目にクロアチア・ザグレブへ移籍して、19歳までにレギュラーになりました。同年スピードタイプのFWというプレースタイルも似ていたことから、当時はサポーターから「クロアチアのマイケル・オーウェン」と呼ばれ、将来を嘱望されました。

1998年の秋には、18歳にしてクロアチア・ザグレブのメンバーとしてUEFAチャンピオンズリーグに参加して、緒戦となるホームのFCポルト戦で、前半7分にクラブのチャンピオンズリーグ第1号ゴールを決めていました。クロアチア・ザグレブはこのポルト戦に勝利し、さらにアヤックス・アムステルダムに勝利、オリンピアコスに引き分けるなど健闘したが、決勝トーナメントの進出はできなかったです。ミキッチはクロアチア・ザグレブのホームゲーム3試合に全て出場を通じて、ストライカーとしてプレーしました。

しかし翌1999年、クラブが三浦知良らの外国人FWを獲得してから、助っ人外国人の起用優先というクラブの方針により、満足な競争も行われないままレギュラーの座を奪われました。この年もチャンピオンズリーグの出場を通じて、グループステージ6試合中5試合に出場したが、先発は1試合だけでした。最終戦のオリンピック・マルセイユ戦で、2-2のドローに持ち込む同点ゴールを挙げましたが、クロアチア・ザグレブはグループステージ最下位に終わりました。

そんな折、1999年のシーズン途中にクロアチア・ザグレブの監督に就任したオズワルド・アルディレスは、ミキッチのスピードに目をつけ、これがミキッチのサッカー人生における転機となりました。以降、サイドプレーヤーとしてプレーしましたが、2年間でリーグ26試合、公式戦29試合に出場して無得点という結果に終わり、チームも2005-2006シーズンは16位で2部降格となってしまいました。2006年6月に、再びクロアチアに戻ってHNKリエカと契約していました。6月13日のUEFAカップ1回戦・対ACオモニア戦の第1レグで公式戦デビューを飾りましたが、リエカは2戦合計3-4でオモニアに破れ、1回戦で姿を消しました。国内リーグ戦では6月30日の2006-2007シーズン開幕戦で初出場し、勝利に貢献しました。しかしシーズン途中の2007年1月、わずかリーグ14試合に出場したところでリエカを退団し、古巣であるディナモ・ザグレブへ移籍。23試合で4ゴールを挙げる活躍を見せました。

 

YOKOHAMA, JAPAN - DECEMBER 06: Mihael Mikic of  Sanfrecce Hiroshima dribbles the ball during the FIFA Club World Cup match between Sanfrecce Hiroshima and Auckland City at International Stadium Yokohama on December 6, 2012 in Yokohama, Japan.  (Photo by Lintao Zhang/Getty Images)

2009年、Jリーグ・サンフレッチェ広島へ完全移籍してから、すぐに右サイドのレギュラーとして、同シーズンリーグ4位躍進に貢献しました。ミハエル・ミキッチ選手はクラブ遍歴を経て選んだJリーグのレベルを高く評価する一方で、日本人選手の安易な海外志向に疑問を呈していました。広島に加入以降は怪我による離脱はあるものの右サイドのレギュラーを確保し続けており、2012年・2013年には広島のJ1連覇に貢献しました。2014年には在籍が6年目を迎え、1993-1997年の5年間在籍した盧廷潤を越えて、広島の外国籍選手では史上最長在籍の選手となっていました。

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