サンフレッチェ広島大木勉について

大木勉

 大木勉は愛媛県出身のサッカー選手であり、ポジションはFW/MFでプレーしています。愛称はベントいわれます。彼は繊細なボールテクニックとセンス溢れるプレーでチームに貢献して、ポジショニングや状況判断のスピードに優れた選手で味方FWを活かす事に長けているといわれました。守備面ではフォアチェックが得意であるため、中盤でも起用されました。愛媛FCへの思い入れも強く、広島選手時代の2000年代前半には、当時日本フットボールリーグ所属の愛媛に対して、法人会員として出資をしていました。

両親の勧めで、兄とともに小学校2年の時からサッカーをプレーし始めました。中学の頃に、四国選抜にも選ばれました。

愛媛県立南宇和高等学校の時、石橋智之によりFWに固定され同学年の友近聡朗とのコンビで活躍してました。高校卒業年にJリーグが開幕して、いくつかのJリーグクラブからオファーがあったとしても進学を決めました。

1994年青山学院大学に進学しました。同年U-19日本代表に選出され、AFCユース選手権として出場して果たしました。この時の活躍により自信を深め、青学を中退してJリーグ入りを決めました。

10 Jun 2001:  Tatsuhiko Kubo of Japan in action during the FIFA Confederations Cup Final against France at the Yokohama International Stadium in Yokohama, Japan.  France won the match 1 - 0.  Mandatory Credit: Ben Radford /Allsport

大木勉は1995年サンフレッチェ広島に入団して、同年にU-20日本代表に選出され、1995 FIFAワールドユース選手権に全試合ほぼフル出場していました。2000年大分トリニータへレンタル移籍しましたが、怪我で出場機会が限られ、結局構想外になったため、アルビレックス新潟など数チームのテストを受けるもうまくいかず、サッカーを辞める状況にまで追い込まれました。2001年今西和男サンフレッチェ広島総監督の勧めで7月までの半年契約で広島に復帰しましたがほぼ出場機会がなかったです。契約期間終了間際となる6月19日ナビスコ杯FC東京戦で”涙のVゴール”を決め契約延長を勝ち取ることを通じて、レギュラーに定着してました。久保竜彦、藤本主税、スティーブ・コリカらと共に破壊力溢れる攻撃を展開して、2ndステージ3位となる原動力となり、特に久保との抜群のコンビネーションは目を見張るものがありました。

大木勉選手は2003年以降コンスタントに試合に出場して、小野剛時代後期にはFWとしての出場は減少したもののトップ下として新境地を開いました。2006年は怪我のため精彩を欠き、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督にほとんど起用されなかったこともあってシーズン終了後に戦力外という状況に陥られました。2007年、故郷・愛媛のクラブである愛媛FCに移籍して、若手が多い中、貴重なベテランとして活躍していました。2012年をもってプロ引退に決めました。

2013年から愛媛日産自動車に勤務しています。一方で同年から広島県廿日市市にある当時広島県社会人サッカーリーグ1部の廿日市FCで久保竜彦や桑原裕義と共にプレーしています。

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